【命題】『1+1=2』の理由と歴史

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1+1(いちたすいち)は、加法の数式のひとつである。しばしば、最も単純な計算問題として言及され、様々な比喩に用いられる。計算結果が 2 とされる初等的、数学的な意味の他にも、抽象的な意味を持ち得ている。

初等的な意味

一般に、加法の最も素朴な意味は「合併」であり、多くの初学者は 1+1=2 の意味として「1つのリンゴと1つのリンゴを合わせると、全部で2つのリンゴになる」といった理解の仕方をする。「合併」と似た意味であるが、初等教育において厳密には区別されるものとして「添加」がある。例えば、「1人の乗客が乗ったバスに、もう1人乗客が乗ってくると、乗客は全員で2人になる」といったものであり、この場合 1+1 のふたつの 1 は区別される。すなわち、+ の前の 1 は足される数であって最初から乗っていた乗客を表し、+ の後の 1 は足す数であって後から乗ってきた乗客を表す。

以上の例では、1 はものの個数・数量を表す基数であるが、1 のような自然数は量を表したり、順序を表す序数である場合がある。1 が量を表す例としては「1リットルの水と1リットルの水を合わせると2リットルの水になる」といったMKS単位系などで表現されるものがあり、順序を表す例としては「徒競走で1番の人の1番後の人は2番である」などがある。このように、初等教育の範囲内においてさえ、1+1 は様々な意味を持つ抽象的な概念である。

数学基礎論

初等教育では 1+1=2 は自明のこととして扱われるが、公理から出発して証明された命題のみを真実として認める、というエウクレイデス以来の哲学からすると、1+1=2 の論理的な位置付けを明らかにすることが望まれる。数学基礎論が整備されつつあった時代に、ホワイトヘッドとラッセルは、数学の基礎的な部分を完全に形式的に展開することを目標として『プリンキピア・マテマティカ』を著した。この書物では、記号論理学的な準備に数百項が費やされており、実際に十進法の演算が定義されて 1+1=2 が証明されるまで700ページあまりを必要としている。

『プリンキピア・マテマティカ』は、先駆的な仕事であったものの、現代的には批判もあり、自然数の定義として通常採用されるのはペアノの公理である。それによると、自然数の間に「後者関数」と呼ばれる関数 suc(a) が与えられ、(自然数に 0 を含める場合)0 の「後者」suc(0) が 1、その「後者」suc(1)が 2 と定義される。一方、加法は n + 0 = n および n + suc(m) = suc(n + m) によって再帰的に定義される。したがってこれらと等号公理により 1 + 1 = 1 + suc(0) = suc(1 + 0) = suc(1) = 2 である。

抽象代数

環などの抽象代数においては、1 は乗法における単位元を意味し、加法は個数の合併という意味を離れた抽象的な二項演算である。

例えば、2元体 F2 は、乗法の単位元 1 と加法の単位元 0 のみを元にもち、この世界においては 1+1=0 である。F2 を Z/2Z(整数全体の集合 Z を、2 を法とする合同関係で類別した同値類の集合)と見なせば、1 は奇数、0 は偶数を表し、1+1=0 は「奇数と奇数の和は偶数」であることを表していると見なせる。もしくは、F2 における加法は、1 を真、0 を偽とした排他的論理和を意味していると見なすこともできる。この演算は、暗号理論、符号理論やニムの必勝法などに応用がある。

数学を離れた転用の例

日常的に使われる比喩として、「一足す一が二にならない」という表現で、机上の論理が必ずしも現実に役に立たないことや、理性より感情や直感を重んじるべき場面であることを表す。他に、理不尽である、神秘的である、といったニュアンスも持つ。また、「一足す一が三になる」(もしくは「三以上になる」)という表現で、相乗効果があることを意味する場合がある。他にも「単純」や「明解」であることを「一足す一が二になるように」という表現で使う。

感想

いろいろな論文を読んだが難しいなと思ってしまった。だが、いち、に、さん、よん、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅうのように数字の読み方は柔らかいことが多い。英語とはまた違うが日本語の場合は個人的には柔らかい読み方だと思ってしまう。古文も柔らかい読み方になるのだが、誰が日本語で数字の読み方を決めたのか気になってしまう。

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